英会話の基本は「あいづち」 (例文あり)

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先日、中高生がネイティブの先生と英語を学ぶ短期集中型のスクールを見学させていただきました。参加されている子供たちは英語が大好きで英語を学びたい意欲にあふれていました。英語しか話さない先生のおっしゃることを一生懸命理解しようと真剣でした。

参加をしている子供たちに「どのくらい先生のおっしゃることがわかっている?」と聞いてみたところ「ほとんど聞けている」と言っておりヒアリング力が高い事に驚きました。

ただ気になったのは子供たちに質問をしなくてはわからないほど、子供たちが理解をしているかどうかが表情や反応から見て取ることが出来なかった事でした。

先生が何かを話しても、真剣な顔で無表情。最後に「わかった?」と英語で先生が聞くと固い表情で「YES」と答えていました。

体育館で外国の先生にスポーツを習っているところでも先生だけが声を出し、子供たちはルールを理解して動くのですが無言でした。ボールの音だけが響く体育館はサイレントスポーツかと思うほど不思議な様子でした。

そこで気がついたことは子供たちは「あいづち」や「リアクション」の表現を知らないし使ったことが無いという事でした。確かに教科書ではそういう表現はあまり記載が無いし、普段会話をしていないために覚える機会も多くない。

日本人がシャイで反応しないとよく海外で言われますが、私はこの「あいづち」「リアクション」の表現を知らない事が大きな原因では無いかと気がつきました。

日本語の会話になると急に「そうだよね!」「そうそう!それね」「面白かったねー!」「まじ?やばくね」などリアクションにあふれている子供たち。それが英語に置き換わったらとっても会話が弾むのにと思ったのです。

会話はキャッチボールと同じで相手にリアクションを返すと言うことが大切です。

実はこの「リアクション」するということはSNSでの英語のコミュニケーションでも必要になってきます。あいづちを入れないとぶっきらぼうになってしまい、こちらの言いたいことを一方的に伝える人という印象を持たれてしまいがちです。

先日、SNSで海外とやりとりを始めたクライアントの日本人スタッフの方に簡単なあいづち集をお作りしましたのでご参考まで。

日本人が英会話を始める時にはまず「あいづち」の打ち方を覚える事を知っていただければ必ずや会話のキャッチボールが生まれます。相手に「わかっている」「わかっていない」を伝えるだけでも相手の方の安心感が大きく違いますので是非活用していただければと思います!

<あいづちの英語集>

わかりました。 Okay. / Understood. / I got it. / Sure. / I see.
その通りですね。 That’s correct. / You are right. / Exactly!
全くその通り Absolutely.
私もそう思います。 I think so, too.
なるほど I see. / Indeed. / That’s right.
本当ですか? Really? / Is that so?
それは良いですね That’s good! / Sounds good! / I like that.
良いですね! Great! / That’s nice! / Wonderful!
それはよいや! Cool!
それは良かった Glad to hear that. / Good to hear that.
素晴らしい! That’s wonderful.
それは興味深いです。 That’s interesting.
それは残念でしたね。お気の毒でしたね。 That’s too bad. / I am sorry to heart that.
それはひどい! That’s terrible.
それはありえない! No way. / You are kidding.
冗談でしょう? You must be kidding.
またそんなこと言って(冗談っぽく) Come on! / No way.
え?何ですか?(聞き返す時) Excuse me? / Pardon?
ちょっと考えさせて Let me see. / Let me think.
よくやったね Good job! / Well done! / You did it!
信じられない! I can’t believe it.
ありがとう Thank you. / Thanks. / Many thanks.

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ギフテッドチルドレン教育(ニュージーランド)

New Zealand先日ブログにてギフテッドチルドレンの教育についてご紹介をしました。(詳細はこちらにて参照ください)ギフテッド・チルドレンって知っていますか?

日本ではまだあまり知られていないギフテッドチルドレンの教育について各国の情報をご紹介していきたいと思っていますが、今回はニュージーランドからの情報をご紹介します。

ギフテッドの教育はアメリカ、ヨーロッパなどで進んでいると言われていますが英語圏であるニュージーランドでも歴史があります。例えば日本の文科省にあたるMinistry of Educationのホームページにはギフテッドチルドレンについての記載が下記のようにあります。(NZ教育省ホームページ:education.govt.nz)

「ギフテッドもしくはタレンテッドな子供はどの家庭にもどの学校の教室でも見つけられる事が出来ます。多くのギフテッドの子供はその潜在する力を伸ばすためにサポートを必要としています(Gifted or talented children can be found in any family and in almost any classroom. Most gifted children need support to reach their full potential)」

注:ギフテッドは知能指数や適正度が高く、タレンテッドは身体的表現力が高いと言われています。ここでは総称してギフテッドとしています。

さらにどのようにして自分の子供がギフテッドであるのか見つける方法、もし自分の子供がギフテッドであるかもしれないと思われたらどのように専門的なサポートが受けられるかと言う情報も示しています。人口の5パーセントは存在すると言われるギフテッドの子供達をきちんと把握して育てる事をニュージーランドでは意識している事が良く分かります。

先日ギフテッドの子供たちの教育に5年前までニュージーランドで関わっていた知人に詳しい話を聞く事が出来ました。学校によっては子供達は6歳頃に標準的なテストを受け、ギフテッドの要素があるかどうかを確認されるそうです。発達の過程でギフテッドの要素が現れる子供もいることから、一斉テストの際に全てのギフテッドの子供が見つかる訳ではありませんがテストを実施する学校では多くのギフテッドの子供がここで見つかるそうです。なぜ6歳かというと、ギフテッドの場合はもの覚えや理解が通常よりも早いことから同じ年齢の子供と同じ教育では既に知っている事を学ぶので飽きてしまったり、つまらなく感じてしまい学びを「退屈なもの」と受け止めてしまう傾向があるからだそうです。6歳で単語の綴りを通常の子供たちが学ぶ時にギフテッドの子供は既に文章を書けたりするという違いからもその感覚は理解できると思います。ですので学びを退屈と思い込む前に個別の教育を与えるようにするために早い時期での認知を心掛けているようです。(このテストの実施は校長先生の判断に依存するとも聞いています)

この時期に特別な才能がある事を認めて個別の教育を与えてあげないと子供達は友達と仲良く混ざりたいがために自分の才能を隠し、特別である事を嫌がり興味のあることへの関心を敢えて消そうとしたりするそうです。そのためにギフテッドであった才能が開花しないという事も多くあるとか。知人は通常の学校で教えていたのですが、彼女のクラスにもギフテッドの子供がいました。その子は週5日の学校の内、1日はOne Day Schoolというギフテッドの子供達の為の学校に通うように学校が手配をしていたそうです。One Day Schoolでは年長のギフテッドの子供達と触れ合い、様々な学びを共にすることが出来て、その子供は「自分だけが特別ではない」と思えてとても喜んでいたそうです。そして通常学校にも4日間通えたことから近隣に住む友達とも一緒に学んだり活動が出来てバランスの取れた学校生活が送れたそうでした。

ギフテッドチルドレンの紹介をしたブログでも触れましたが、ギフテッドの子供達には突出した知能や身体能力があると共に発達障害的な、行動において社会性が乏しいと判断されるケースが見られる事も多々あります。One Day Schoolではそのような併せ持った資質についても経験的に理解し、社会的に生活をしていく上でのトレーニングなども提供されているようです。

知人は更に親への情報提供がとても重要だと述べていました。ギフテッドの子供は他の子供と異なる事から保護者は自分の教育が間違っていたのではないか、普通の子供のように矯正しなくてはいけないのではないか、特別な才能をどのように育ててあげれば良いのかなど深い悩みを抱える事が多いそうです。ニュージーランドでは保護者がボランティアでコミュニティを組織してイベントなどで交流をしています。giftedchildren.org.nz

ニュージーランドでも各地域で個別に行っているギフテッドチルドレンの教育の全国調査を政府が行ったのが2004年。その後クラスベース、学校ベース、地域ベースなどで様々な施策が施され研究も進んでいるようですが、最近では学びの遅い子供達への教育への注力が進み、ギフテッドチルドレンの教育への資金が減るという現象も起きているとのことでした。

個性を育てるという大きな視点でそれぞれの学習進度に合った教育方法が必要とされていると感じました。

情報を提供してくれた知人は日本でも教えていたのですが、日本ではギフテッドの教育は未だ発展途上のように感じた。国としての制度を変えていくのは時間がかかりすぎるから、各学校の校長レベルで標準テストの実施を行うなどをしてギフテッドの子供を見つける試みをし、個別の教育を施すという事から始めてはどうかと言っていました。

起業家や新しい考えを発想できる人は、人と同じであることを心地よく思わない自らの個性を自認した人たちから見つかると思う。日本にはそういう人材が今求められているのではないかというコメントがとても心に残っています。

 

 

 

 

スリランカ訪問記(起業家たちとの出会い)

35348045_1752164114878256_1076448520979873792_nスリランカ訪問時に大変お世話になった青年がいます。Mohammed Fawazさんという方で、私達のスリランカ訪問約1か月前に日本のイベントで知り合いました。当時私はスリランカの教育機関を訪問したいと願っており知人や友人に声をかけコネクションが無いかどうかを調べていましたが難航していました。そんな折にスリランカITイベントがあると聞いて参加してみたら、そのイベントのプレゼンテーションの最後のスピーカーがMohammedさんでした。彼の会社は創業4年で教育ビジネスを行っており、オンライン教材を学校へ提供しているという5分ほどの大変短いプレゼンテーションをされたのですが、私はダメ元で彼に教育機関訪問を打診してみようと思いつきイベント終了後に話しかけました。日本国内でグローバル人材育成の仕事をしている事。スリランカには商工会のメンバー20名ほどで訪問する事。世界共通で存在する教育の現場を視察したい事を足早に話をしました。すると彼の反応は「OK。僕が何とかしましょう」でした。その後、彼とはfacebookで繋がりメッセンジャーで毎週連絡を取り合い学校訪問について話し合いを進めました。訪問直前はほぼ毎日事前確認などを行うなどして前述の学校訪問が実現しました。

彼とは学校訪問後に個別で詳しく話を聞く事が出来ました。元々家は裕福では無く、学校を卒業後にコールセンターの仕事に就いたそうです。英語で対応をしなくてはならなかったのですが流暢に話す事が出来ず就職早々上司に「あまりに英語が下手だから辞めてもらいたい」と言われたそうです。彼は仕事を失いたくなかったので「何か英語が上手になる方法はないか」と上司に尋ねたところ「YouTube等の映像でいくらでも勉強できるだろう」と言われ早速映像を見ては表現をまねて一生懸命勉強したそうです。そんな努力の末に彼は半年後には14名のスタッフのリーダーになる事が出来たそうです。そして体験を通してオンラインで学ぶ事で実力を身に着けられる事を体感しました。そこから彼の起業の発想が始まりました。オンライン講座であればスリランカ国内に広く教育コンテンツを提供することが出来ると思い教育事業を開始。仕事を始めた当時は21歳。若さと実績の無さから様々な組織から門前払いをされたそうです。資金繰りがうまくいかず銀行からお金を借りたりと言う事もあったそうです。けれども彼の努力と信念で起業後4年でスリランカの教育業界から更に国外でも認知度が向上し、現在は本業の他に起業家仲間と共に学生や若者向けの起業セミナーの開催をするまでになりました。年長の起業家仲間とも対等に接している彼の様子を見て「自分の感覚を信じて、熱意をもって進む」事の大切さを感じました。

私自身は40代の起業でしたが、同じように自分を信じて熱意を持ち続ける事をしていきたいと思う出会いでした。

スリランカ訪問記(教育事情)

35282754_1752165491544785_7164419433035726848_nスリランカを訪問し現地の教育機関を訪問してきました。弊社の関心としては「グローバル化への対応」「多様性の理解」「英語教育」等がありますのでその辺りを特に重点的に学びたいと思ってリクエストを挙げていました。

今回の訪問は弊社の所属する地元の商工会議所の研修旅行で本来は現地日系企業やJETROの訪問から日本企業が訪問国でどのような経済展開をしているかを学ぶという主旨がありました。同様の主旨で前回もミャンマーを訪問しておりとても豊かな学びを得ました。

教育機関への訪問は計画当時は予定外であったのですが、研修旅行参加者の方にとっても海外の教育事情を知ることについて関心を持っていただく事が出来ました。ある意味教育は世界各国にあり未来の世界を担う子供たちを育てるという意味では目的は共通です。

さてまずスリランカの教育事情についてご説明します。スリランカは公立校であれば小学校から大学まで無償で教育を受ける事が出来ます。国民への教育は広く徹底されており南アジアインド、スリランカ、ネパール、パキスタン、バングラデシュ、ブータン、モルディブの各国を含む地域)の中でスリランカは特に抜きん出て高い識字率92.6%(男性93.6%、女性91.7%)です。男性と同等に女性の識字率が高い事も特徴的です。義務教育は14歳まででその後は進学するか職業に就くかの選択がされています。大学は無償ではありますが大変な狭き門であるため入学できる学生は1万6千人前後(人口約2000万人)と限られており、更に卒業できる学生は入学した学生の5割と言われています。

前回のブログでも書きましたがスリランカは大きく分けて二つの民族が混在して構成しています。民族が多く住む地域によってシンハラ語、タミル語のみで教育を行っていますが、コロンボ、キャンディ等の都市においてはシンハラ語、タミル語および英語で教育が行われているそうです。シンハラ語とタミル語は全く異なる言語であるためその橋渡しをする役割を英語が担っており、独立前はイギリスの植民地であったことも影響してか英語を話せる人は想像以上に多く、コロンボ、キャンディなどの訪問した都市で地元の人が行くようなスーパーやお店でも英語で対応出来る方が多い印象でした。

今回訪問をしたのはWycherly International School of Colomboという全ての授業を英語で行う私立のインターナショナルスクールでした。富裕層のお子さんが通う学校と言われておりイギリスの教育メソッドを導入しているとの事でしたが、1985年に100名の生徒で始めた学校が翌年には450名に、1988年には800人、1996年には1000名を超えて2歳半から17歳までの子供たちに教育を提供しています。確実に英語での教育を望む保護者が多く存在する事が分かります。この学校の教育方針は「success through discipline (規律に基づいた成功)」と言うもので、disciplineとは「規律・躾」と訳せるのですがどこか日本式の教育と志が近いような印象を持ちました。

Symbolizing the peace and the unity Of all the nations gathered here (全てのここに集った国々の平和と統一の象徴)とは校歌の歌詞の一節ですが、スリランカ人だけではなく世界各国の子供たちが学んでいるそうで多様性を受け入れている校風がありました。日本人も少数ですが学んでいるそうでした。

授業には週一回必ず「創造性を養う」授業があり、勉強のストレスやプレッシャーから解放されるように製作物を作っているそうでした。制作物は子供同士で話し合ってテーマを決めて作っているそうです。

校舎を案内いただいてから、一つの教室に集まり先生方のお話を伺う機会を頂きました。まず驚いた事は先生方の8割以上が女性であったことです。カースト制度がまだ存在するスリランカでは女性の地位は男性よりも低く捉えられていると言われていますが、教師は女性が活躍できる職業の1つとの事でした。訪問した学校では創立33年ですが、創立以来働き続けていらっしゃる先生も多く、皆さん教職をとても誇りと思われている様子でした。

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最後に興味深いプレゼンテーションをされた先生がいらっしゃいました。「学校教育へのIT導入の意義」がテーマでしたが、SNSの悪影響やインターネット利用による子供の不適切な情報へのアクセスからIT機器の導入に対して反対する意見が多いが、これからの世の中はいかにツールを賢く管理しながら活用するかが教育現場で重要になってくる。ネガティブな要素があるから全く使用しないという事は現在の進化している技術を無視することになる。必要なことは「正しい使い方を教える事」。その為には教師が最新の技術や情報を入手してメリットとデメリットを理解し、教育的な活用方法で子供達に伝える事が大切との事でした。今まさにAIなど人間が作り出した技術が進化をしている時代、納得感のある内容でした。

こちらの学校訪問後、スリランカの都市や郊外の街をバスで移動する最中には公立の学校を多数見かけました。設備は訪問した私立校よりはシンプルですが、大きな道路沿いの目立つところに位置している事が多く教育を大切にしている国と強く感じました。

訪問の様子がインターネットニュースに記事になっておりました。ご笑覧ください!https://www.educationtoday.lk/global-tutor-japan-delegation/

スリランカ訪問記(そもそもスリランカとは)

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スリランカを訪問してきました。名前は聞いたことがあっても訪問をした人はあまりいないのではと思います。今回は現地の教育機関やスリランカで展開する日本企業訪問、またスリランカの起業家達とも交流してきました。現地で感じたことなどをシェア出来ればと思います。

まずはスリランカの基本情報からご説明します。場所はインドの南東に海峡を隔てて位置する島国です。元々はシンハラ人と言われる人々が住んでおり、インドから断続的にタミール人が移住してきて現在のシンハラ語とタミール語を話す国民が混在する状況を作り出しています。紀元前3世紀に王子が仏教を伝え現在も国民の7割以上が仏教徒で、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒、キリスト教徒が続きます。地域により各宗教の比率は異なり、最大の商業都市であるコロンボでの各宗教の比率は1:1:1:1との事です。

16世紀からポルトガル、オランダ、イギリスが植民地としスパイス、特にシナモンの産地として重要視され、コーヒーのプランテーションが失敗したのを機に紅茶の栽培を始め現在では世界有数の紅茶の産地として有名です。1948年イギリス連邦の自治領セイロンとして独立し、その後1972年にスリランカ共和国と改称。その後自国内でシンハラ人とタミール人の間で内戦が起こり26年間に渡り続きました。2009年に内戦が終息し、制圧した政府軍を支援した中国とはその後も経済的な関わりが強く、今回の訪問中もそこかしこで中国企業が開発に関わっている場所を見かけました。沿岸部で大規模な埋め立てをしている地域は中国が租借地としているそうでしたし、ハンバントタという島の南にある港は中国が開発して管理をしているとの事でした。この動きは中国の「一帯一路(One belt One Road Initiative)」の一貫とも言われています。内戦を収める上での中国の支援が大きかったためか中国に対する現地の人々の捉え方が友好的で或ることが印象に残りました。(この点は追って起業家との交流で触れる予定です)

日本との関わりは、1951年のサンフランシスコ講和会議時に当時のスリランカ大統領が「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む(Hatred ceases not by hatred, but by love.)」という仏陀の言葉を引用し対日賠償請求権の放棄を明らかにすると共に日本の国際社会復帰を求め、戦後の日本が国際社会の一員として復帰する道筋を作ったという実はとても日本とは深い縁と恩がある国なのです。その為、日本からスリランカへは経済支援を多く行っており、中国の支援が増加するまでは日本が最大の支援国でした。お会いしたスリランカ人の若者からも「日本からの無償資金協力によって1983年に完成したスリ・ジャヤワルダナプラ総合病院や1999年に完成したスリ・ジャヤワルダナプラ国立看護学校では日本に本当にお世話になった」と言われました。

2009年に内戦が収束してからは「平和」が訪れたと現地の人々は口々に言っていました。ほんの9年前まで内戦があった国とは思えないほど今は治安も良く、隣国のインドとは民族的には近いのですが雰囲気は大きく異なるようです。主食であるカレーもインドのカレーとはずいぶん異なり、油分が少なく野菜が多くてさっぱりとした味わいで何食続いても飽きずに食べる事が出来ました。人口が約2000万人という小国で島国という事から世界遺産が保全され点在し、建築を目指す人は一度は訪れるべきと言われるスリランカ出身の世界的な建築家であるジェフリー・バワの作品も多数あります。

交流した若い起業家達は世界の潮流を英語で入手し、スリランカの子供達に起業家精神を教えていました。世界的な視座を持った若者がスリランカを拠点に多数輩出され活躍していくのではないかというパワーを感じました。

日本に対してビジネス面など大きな期待を感じたのですが、果たして彼らの熱量と英語力に対峙できる日本の若者はどのくらいいるのだろうと思いました。私自身海外に目を向けるのも大切ですが、日本で切磋琢磨し世界を舞台に新しいビジネスを始めようとしている人々ともっと接してスリランカや世界の起業家達と繋ぐことが出来るようにならなくてはと改めて思った訪問でした。

スリランカの教育、起業家についてまたブログを書いていきます。

 

仕事で癒される

img_001先日心を痛める事がありました。気が付くとその事ばかりを考えてしまっていて。そんな時に私の心を慰めてくれたのは実は「仕事」でした。

好きな事、自分が得意と思う事を仕事に出来ているので私は働いている間、時間を忘れて没頭することが出来ました。そして、そうやって悩みや心配事を頭から追いはらってくれる存在を持つことはとても大切だと思いました。人によっては趣味だったり、瞑想など平静を保つメソッドだったりもすることもあると思います。

一日の大半を占める時間を費やしている仕事によりその間悩みから解放されたことで私は自分の心を癒し、立て直すことが出来ました。時間を忘れて没頭出来るものを持つこと。

それが仕事であったことを私はとてもありがたく思いました。

多様性の受け入れ方について

Diversity-and-Inclusion

先日保育士をされている友人から外国の子供さんに対して日本人の子供たちが肌の色の違いなどから違和感を感じてしまいなかなか仲良くなれないというお話を伺いました。

私は現在は肌の色の違い、同性愛の方達、障害のある方達に対して気負うことなくお話をすることが出来ますが、生まれた時から理解が出来た訳ではありません。子供の頃は白人の方の肌の白さや目の色の違いが怖く感じて、国際結婚をした叔父のお嫁さんに対してどう接して良いか分かりませんでした。けれども何度も会って話を聞いたり一緒にご飯を作ったりしているうちに徐々に普通に接することが出来て仲良くなれました。次には黒人の方に対して同じような感覚を持ちました。生まれてから中学生になるくらいまで黒人の方と話したりするチャンスが無かったのでとても不思議で目を見てお話が出来るまでとても時間がかかりました。けれども何度もお会いしているうちにやはり慣れていきました。

次は同性愛の方達。20代になるまで私の周りには同性愛の方は見当たらず、接する機会がありませんでした。そして私は20代半ばでとても素敵な男性に恋をして3年くらい片思いをしました。自分から好意を示したりもしたのですが、ある時その男性から実は自分は同性愛で男性のパートナーがいると告げられました。自分が彼の恋愛の対象ではないという事に大きなショックを受けましたが、反面実はとても身近に同性愛の方がいて彼の素敵な人柄や思わず笑顔にさせられるユーモアのセンスに魅かれていたので、同性愛である事から彼の人間性を否定するような事をせずに理解をすることが出来ました。実は彼に出会うまでは想像の世界だったので同性愛の人は変わっている人達なのではないかという偏見を少し持っていました。けれども彼を好きになってから同性愛だと分かった事で無意味な偏見を捨てる事が出来ました。

障害のある方には、社会人になってから様々な場所でお会いする機会がありご自分なりに障害を乗り越えて自分らしく生きている姿を拝見して自らの生き方を顧みるきっかけを頂いています。

これらの自分の経験から言える事は、やはり実際に様々な方と出会い関わることが大切で、関わることで相手を理解することができる、違いを自分なりに受け入れる事が出来るという事です。誰でも今まで自分が見慣れていた人達と異なる人がいれば不自然に感じます。けれども慣れてくれば一緒にいる事が自然になります。

今日本ではインクルーシブ教育(全ての個性を包含する教育、発達段階や障害などの区別なく共に学ぶ教育)の必要性が問われています。様々な個性を持つ子供たちが同じ空間で学ぶことが出来れば、ひとりひとりに違いがある事を理解し「違って当たり前」と思えるのではないでしょうか。

個性豊かな子供たちが共に学ぶ際に必要になるのは個性を伸ばす教育者と教育システムの存在です。現在の教育システムのままで、個性を伸ばす教育を期待しては先生方の負担が重くなるばかりです。これからの日本は少子高齢化の社会。少ない子供に対して沢山の大人がいます。多様な個性が共に学ぶ環境に経験豊富な高齢者の参画を促して手厚く子育てをしていく事は出来ないのだろうかと思います。様々な制度の見直しが必要になるとは思いますが、多様性を受け入れ、子どもの個性を伸ばす教育を基点に考えていく事が大切だと考えます。

こちらのブログでは今年は海外の教育事情をご紹介して、日本の教育に導入できることはないのか等考えて参ります。

 

不器用の強み

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先日美容師さんと子どもの個性についての話をしていました。美容師さん曰く「器用であるとある意味成長の幅が大きくならない時もあるのですよ」と。彼は沢山の若いスタッフを育ててきた経験があるのですが、不器用なスタッフは本当に一つの技術を学ぶのでも時間がかかるそうです。髪を切る仕事はとても繊細な技術が必要なので合格レベルに達するまでに人一倍練習をしなくてはならない。人より多く練習をするという事を嫌がって途中であきらめてしまう人も時にはいるそうですが、彼はとにかく練習を続ける事を勧めています。

なぜなら彼はある日気が付いたのです。自分が不器用だと分かっている人は「自分は時間をかけなくてはダメだ」と分かっているからとにかく一生懸命長い時間練習をします。そうすると徐々に力が身につき、ある時点で器用な人がする仕事よりも、丁寧に精度高く成果を出すことが出来るようになるのだという事を。「オールマイティではないけれど、例えばボブのストレートラインのカットは絶対に僕ではかなわない綺麗なラインを作り出したりするんですよ。得意があればその路線で頑張れば良いから良いですよね」

逆に器用な私の美容師さんは何でもすぐにある程度出来てしまうから、ものすごく何かに秀でていないという逆コンプレックスがあるんだと語ってくださいました。

私は実はとても不器用で何事も時間がかかるタイプです。器用な人をとにかくうらやましく思っていましたが、不器用な人には不器用な人なりの力の活かし方があるということを再発見して嬉しくなりました。

不器用であることも「ギフト=与えられた個性」なのですね。人と同じではなく「自分」らしく子供たちが力を伸ばしていけるようにと日々祈っております。

一時帰国の子供達

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最近オンラインで勉強会に参加をしてグローバルな環境での教育について参加者の方と意見交換をしています。

今日はディスカッションの中で海外在住で夏休みなどに日本に一時帰国する子供達が公立の学校で短期間でも受け入れをしてもらえるというお話がありました。海外に住んでいるとその国の言葉や英語などで学習をする事が多く、日本語を話す機会もあまり多くない。母国のアイデンティティを維持する為にもたとえ短期間でも良いから日本で学ばせたいと思う保護者の方が多いそうです。

たとえ、短い期間でも毎年同じ学校に通う事で子供同士仲間意識が生まれて仲良くなったり、助け合ったりすることが出来るそうです。海外で暮らしているという事は異文化についても肌で感じている事が多いと思いますので、学校では多少の負担があっても受け入れをすると在校生に対して日本以外の国について知る機会となるのではないかと思います。

学校側は受け入れる手続きの煩雑さなどについ目が行ってしまいがちで、躊躇される学校も多いようですが受け入れをすることで得られるメリット(同じ年の日本人同士で同じ目線で異文化理解をすることが出来る)を考えて積極的に活用する方向で検討されても良いのではないかと思いました。

日本人、外国人、国際結婚をされたご家庭の子供、海外で暮らす日本人と同じ「学校」という環境にいても異なるバックグラウンドのお子さんがいる事を子供達が理解し受け入れる事はとても意味があると思います。異文化理解の始めの一歩ですね。